不惑

とうとう、そういう歳になってしまった。

が、迷い戸惑い、怒りに身を震わせる自分が相変わらずここにいる。

で、Agora 「不惑」という困惑 という記事を読んだ。

まぁ、歳なんて関係ないのよ。西洋にはそんな考え方ないし・・・みたいな感じ。
こういう考え方ができると楽だよねぇ・・・とか思うのだが、本当にそれでよいのかとも思う。

自分は独身で子供もいないけど、周りにいる同世代、または親である人たちで、そりゃいい親だとか、ちゃんと育てているなと思える人たちはいっぱいいるが、そうも思えない人もいる。
ほっときゃいいじゃない、って思うかもしれないが、ほっといて本当によいのだろうか。
放置して、自分に跳ね返ってきたら、あの時ほったらかしにしたことを後悔しないかね。
(まぁ、関係ないって思っているのだったら、後悔なんかしないのかもね。)

でも、マンションの隣の部屋で餓死した人がいたらどうかな。
なんかできなかったかな、自分・・・とか思うんじゃないの。

仏教には受容という言葉があるけれど、何でもかんでも受け入れるということではない。
やっぱり自分で考えて、人の意見も聞いて、かみ砕いて消化する必要があると思う。
そして、ダメなものは駄目だし、「ならぬものは、ならぬ」。

まぁ、そんな当てもなく、いろいろ思いつつ、今日は早く仕事を終わらせるのが、今の私のメイン課題なのである。

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